gt0057 日本産業音楽祭がついに終演(January 6, 2006)
昨年末、私が所属するジャズのビックバンドWMOの幹事から、日本産業音楽祭が終演するとの連絡があったとのメールが入りました。一瞬えっ!!と思いましたが、とうとう来るものがやってきたのです。
軽音楽の部は毎年9月に横浜の神奈川県立公会堂で開催されており、WMOは1988年の第33回音楽祭に初参加して以来、昨年2005年の第50回音楽祭まで欠かさず参加しています。
最近の不景気で企業の文化体育活動が制限されて参加団体が毎年減少し続け、協賛を下りる賛助会社も出てきて、運営が成り立たなくなったとのことです。この種の活動は、一旦火が消えると再開は極めて困難です。バンド単独でのコンサートも開かず、この音楽祭に参加してプロの先生方の批評を得る事を唯一の目的とし、純粋にジャズのアンサンブルを追求してきたWMOとしては、大きな転機がやってきました。
思えば、1988年に恐る々々初参加して、中央のアマチュア・ビッグバンドのレベルの高さを知ることになります。審査員のジャズ評論家本多俊夫さん、日本が誇るジャズ・ビッグバンド#&bのリーダ原信夫さんからは、「I Miss You So」のうねるようなサックス陣のサウンドが素晴らしいと、好意的なコメントを貰いました。反面、ギターは音を切りすぎる、とスイングの基本的なリズムについてのアドバイスを貰いました。
短いコメントですが、これがそれからの1年間の克服課題になります。
4年目の1991年、「Big Swing Face」はこんなにスイングするアマチュアバンドは聞いたことがないと、本多俊夫さん、原信夫さんから大絶賛され、大賞を受賞しました。公の場でギターのアドリブソロを1コーラス初めて演奏しました。「Big Swing Face」はプロの演奏では絶対に聞けない、アマチュアバンドならではの荒削りながらスイングしまくる熱演だったと、今でも思います。
中央で大賞をとった特異な田舎バンドとして、この頃から知る人ぞ知るバンドとなり、茨城放送などからもたまに出演の声がかかるようになりました。
それからは大賞受賞はほぼ1年置きです。二人の審査員それぞれの持ち点5点の合計が9点以上で大賞です。ジャズのビッグバンドでは、大賞を貰えるのは参加バンドのうち1/3くらいです。10点満点のときは、最高の委員長賞を貰えます。
2001年の第46回音楽祭では、「On A Clear Day」「Wave」で、まさかの委員長賞を受賞してしまいました。自他共に認める日本一のアマチュア・ビックバンドである都庁スイングビーツと並んでの受賞です。都庁スイングビーツはニューヨークに演奏旅行するほどのプロ顔負けのすごいバンドです。ある意味では、WMOも日本一のアマチュアビッグバンドということができます。
本多俊夫さんはこの年に亡くなりましたが、最後の審査になった訳で、我がWMOとしても感慨深いものがあります。
昨年2005年は第50回記念音楽祭で、「Lover Come Back To Me」「In A Sentimental Mood」を演奏して2004年に続いて大賞を受賞しました。これが最後の音楽祭となった訳で、良い形で締めくくれて本当に良かったと思います。
日本産業音楽祭がなければ、WMOは存在しなかったと思います。本当にありがとうございます。
これからは「ひたちビッグバンド・フェスティバル」や昨年始めて開催した「WMOチャリティーコンサート」などで、地方からの音楽発信ですね。
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