gt0043 ギター演奏における脱力運動について、続き(September 29, 2005) (February 10, 2009 追記)
先日の「ホリゾンかみね」でのソロギターライブのとき左手の指がつったのを機にインターネットを調べ、「************」というホームページを見つけました。
その中の「脱力運動」の項目に記載してあった、左手の脱力運動の練習方法の一つは、親指外しという方法で、左手の親指をネックに付けないで(触れないで)演奏する方法です。これは既に記載した通りです。
もう一つの左手の脱力運動の練習方法は、左手ピチカートという方法です。押さえている左指を少し浮かせて弦を指板に触れない程度にし、右手は通常の演奏と同じ強さで演奏します。通常の演奏と異なるのは、左指を少し浮かせていることだけです。
実際にやってみました。親指外しは難しいです。左手の指先を立てている限り、この奏法はできません。つまり脱力方法の練習というよりも、脱力運動ができているかどうかの確認法のような感じです。
左手ピチカート法もやってみました。お、これは良い感じです。弦を指板に押し付けていないので、親指にも力が入っていません。右手は普通に演奏するのですが、左手の押さえ方がスムーズになったような気がします。今までの私の演奏は、小指を伸ばすような部分では親指をネックの裏側に押し付け、小指を伸ばしてぎゅっと力を入れてしっかりと弦を押さえる感じです。左手ピチカートをやると、親指に力が入っていないので、小指もスムーズに伸びます。
左手ピチカートのままでは音はぷつぷつで音楽にならないのですが、手の重さを弦にかける感じで少し強く押さえれば、親指に力を入れることなく音が出て来ます。力が入り過ぎていると思ったら、左手ピチカートに戻せばどのくらい力をいれるべきかということが直ぐに確認できます。「これだ!!」左手ピチカートの練習を続けていると、左手脱力方法をマスターできそうな気がしてきました。
脱力運動というのは、我々の日常生活で無意識のうちにしていることであって、ギターを弾くからといって特別に構えると余分な力が入ってしまうのですね。心を無にし、自然に逆らわず弾けば良いのだとある意味達観です。正に無の境地ですね。まさかギターを弾くときも無の境地とは・・・。
脱力とは無の境地であり、無とは自然に逆らわず普通にすることだとは・・・あのホームページを書いた人はすごいと、感嘆しきりです。
後日談(February 10, 2009)
かなり前の記事なのですが、もしや見る方が居て誤解されるといけないので、遅ればせながら追記します。
ギター演奏に限らず「脱力する」ことは当たり前のことで、ことさら「脱力運動」として取り上げることもないようです。その後の感じでは、「親指外し」「左手ピチカート奏法」はかなり眉唾のようです。これを提唱している方のホームページを見たのですが、多くの投稿者の意見と同じように、言っていることとやっていることがかなりアンバランスだと私も感じました。
他人のことを悪く言うのは本位ではないのですが、一時にしろ単純に信じた自分への戒めを込めて、あえて追記いたしました。
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